こんにちは。タムラ印刷 田村拓也です。
印刷技術に関して、知れば知るほど精密な技術であり、奥が深く、そして難しい事を認識させられます。
私自身、香川高等専門学校(通称:高専)の機械工学科から芝浦工業大学大学院卒といった
コテコテの工学人間なので、印刷機械の精密さにはゾクゾクします。
では、その印刷技術のルーツはどんなものか?とふと気になりましたので、調査してみました。
今回は、俺得な記事になります。ご興味ある方は一読して見てください。
この記事は、印刷の歴史に興味がある方へ向けて執筆します。
目次
僕が以前勤めていた、小森コーポレーションという印刷機械メーカーの会社のつくば工場のロビーに世界最初の印刷機械のサンプルが展示されていました。
ドイツのヨハネス・グーテンベルクという人物が、ワイン作りのためのぶどうの果汁抽出機を参考に発明したそうです。
これらの知識より、てっきりドイツ発祥と思っておりましたが、意外にも中国でした。
今から約1300年も遡った時代とのこと。
中国で印刷が生まれた理由としては、下記のような理由が考察されています!
・西暦105年に蔡倫という人物によって製紙技術が発明されたこと
・石碑から拓本を取ることが盛んに行われたこと
・漢時代に印章の使用
拓本とは、凹凸のある石碑、器具(硯、青銅器など)に紙や絹を被せて密着させ、上からタンポに含ませた墨を打ち(上墨;じょうぼく)、凹凸を写しとること、また写し取った紙や布のこと。写しとられた器物の像を拓影という。凹んだ部分が白く、凸部分が黒く紙上に現れる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%93%E6%9C%AC
今が21世紀なので、8世紀には印刷は存在していたということになります。
版を原反(紙など)に写す原理は、現在の印刷方式でも変わっていないですよね。
グーテンベルグは、金属活版印刷を開発した人物と知られていますが、厳密にいうとそれよりも先に、金属活版印刷も発明されていた痕跡が残っています。
しかし、金属活版印刷ではなく、木版による活版印刷が主流となり近世まで発展したそうです。
製紙技術・印刷技術がヨーロッパへと伝わると、一気に進化を遂げました。
1445年頃にグーテンベルグが鉛製の金属活版とワイン作りのためのぶどう果汁抽出機を参考に活版印刷機械を発明してから、急速に印刷技術が広がりを見せたのです。
火薬、羅針盤、活版印刷機械の3つはルネサンスの三大発明と称されています。
今でも活版印刷は残っておりますので、ほぼ完成に近い技術がこの時発明されたといっても過言ではありません。
やがて、1800年ごろには、産業革命にて蒸気による動力を印刷機械が得たことから
手作業から機械化が進み、生産性も爆上がりしました。
印刷が中国にて発明された8世紀に、日本にも印刷技術がやってきました。
12世紀〜13世紀に京都や鎌倉の仏教寺院などで盛んに印刷・出版がなされたそうです。
やがて16世紀には、キリシタンによりグーテンベルグが開発した活版印刷技術が伝わりますが歴史的背景より、禁止されてしまいました。
その後、豊臣秀吉が朝鮮から木版による印刷機械を持ち帰ったことを皮切りに、活字ブームが起こったそう。
やはり日本でも、中国で主流となった木版による活版印刷が主で近世まで発展しました。
簡単ではありますが、印刷のルーツは中国発祥ということが分かりました。
製紙技術も丸ごと中国だったみたいですね、恐るべし!
10世紀以上も印刷は、情報伝達を担ってきましたが、今はデジタル化が進んでおりスマホという新しい媒体で情報のやりとりをすることが多くなってきました。
技術の進化は大変素晴らしいことですし、デジタル化はいいことだと思います。
しかしアナログの渋さも、僕は好きです。墨一色の広報誌・社内報などは大好物です。
両方が相乗効果を生み出し、より良い情報の伝達を生み出していくことに期待です。
歴史に関しては、まだまだ深掘りしてみたいので、次またリライトするか、別記事にて続きを執筆したいと思います。
この記事は下記URLの論文を参考にしております。
宗村 泉、我が国の印刷の過去,現在,未来 -活字からデジタルの変革期を迎えて-
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj/61/12/61_12_790/_pdf/-char/ja
今回はここまで。ではまた次!